2998786 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

imimiのリトリーバル日記

imimiのリトリーバル日記

ブルース・モーエンのいう知覚

2009.9.2 の記事から

さて、今回は、上でご紹介したブルースモーエンさんの本の中から知覚向上のためのヒントになりそうなところをご紹介したいと思います。

以下、「死後探索マニュアル」(ブルースモーエン著、坂本政道監訳、ハート出版)249頁からの抜粋です。

長くなりますが、とても重要だと思われることが書かれてありますので、そのまま引用します。




「私が物質的な世界を超えて知覚するのを学び始めたころ、犯してしまった大きな過ちのひとつは、自分の見た映像の質こそが、見ているものの正しさや真実性をはかる基準になるのだと信じ込んだことだった。
 
私は、非物質的な世界でも、自分が普段物質的な世界で見ているのとまったく同じようにものが見えるはずだと考えた。

そして、3Dのホログラムのようなフルカラーの映像以外は、本当のことではない無用のものとして、すぐに捨ててしまったのだ。
 
私は長いことかかって、ようやく気づいた。
 
非物質的な視覚というのは、ひとつの連続体であると説明するのが最適であり、映像の質は、その映像から得られる情報の質とはまったく相関しないのだ。
 
連続体の一方の端では、私たちの見るものは、物質的な肉体の目を使ってみるものとほとんど区別できない。
 
この連続体の反対側では、私は、「何も見えなかった」と言いたくなるところだが、それでも小さな男の子が自転車に乗って、指導から表の通りに出て行くのを見たと「わかった。」
 
視覚的には、私が見ているのはただの真っ黒だけなのだが、それでも男の子が表通りのほうから振り向いて、家の玄関ドアの前に立つ母親を見ていたのがわかる。
 
男の子は母に手を振っていて、トラックが来ているのが見えなかった。 
 
私はこうしたことをどれも見たわけではない―ただ黒い闇を見ていたのだが―しかし、トラックが男の子を轢き殺してしまったとわかる。
 
何ひとつ見たわけではないが、それでも、見えたいたらどんなふうだったかわかったのだ―母親の着ていたホームドレスのスタイルや色に至るまで。

そういうわけで、私は非物質的な視覚の連続体で、反対側の端を「わかる」としたのだ。
 
ときには、ほんの短い瞬間、母か父の写真のような、ひとつのイメージが見えることもある。

そして、すぐにまた、ただの暗闇になってしまう。これはごく普通のことだ。
 
私はそういうことが起こると、非物質的な視覚の連続体のうち「わかる」の方の端を使い始めていい、というしるしだと受け止める。
 
体験のその時点から、私はほかにも一瞬のイメージが見えるかもしれないし、そうではないかもしれない。

短い映画のクリップが見えるかもしれないし、そうではないかもしれない。
 
しかし、自分が連続体のどこに位置していようとも、裏づけのとれる正しい情報を手に入れられるのだと、経験から証明されている。
 
私たちの知覚が「非物質的な視覚の連続体」のどこにあるかは、一回一回のエクササイズや経験のたびに変化しうる。

時には映画を見ているような感じかもしれないし、時には見えるのは真っ暗闇だけ、ということもある。
 
時間がたつにすれて、「連続体」のうち3Dのほうの端に向かって進んでいくのを期待するのは、ごくあたりまえのことかもしれない。
 
私の経験からすると、それは間違いだ。でなければ、あなたはその能力を開発できないし、私のようにのんびり練習しているわけにはいかないだろう。
 
視覚化の練習によって、「連続体」のそちら側の端で知覚を使うことが増加するかもしれないが、だからといって、裏づけのとれる正しい情報を集められる経験ができるとは限らない。

非物質的な視覚を開発するということは、肉体の目と同じようにものを見る能力を開発する、というよりむしろ、自分の「知覚者」が観察しているものに気づけるようになる、ということなのだ。」



今読み返しても、この本はやはり素晴らしい本だと思います。

上にご紹介させていただいた部分は、以前この本を読んだ時にはそれなりに印象には残っていたのですが、当時はまだ自分自身の体験がそれほど深いものではありませんでしたので、読んでも「ふーん、そんなものなのかな。」程度にしか思えませんでした。

しかし、今あらためて読み返してみると、まさにブルースモーエンさんのおっしゃる通りであり、何も付け加えることはないと実感しています。

向こうの世界を知覚するというのは、たとえば「見る」ことを例にとってみても、このように連続性のある知覚状況の中で

「はっきりとクリアに見える」、

「クリアではないが見える」、

「うっすらと見える」、

「なんとなく見えるような気がする」、

「まったく見えないが存在は感じられる」

というように、連続性をもった状況にあり、その時々のコンディションによって自分がどの状況に置かれているのかは、様々なのです。

ブルースモーエンさんは、まさにそれを言おうとしています。

これに気づくだけでも、今まで自分が単なる妄想に過ぎないと切り捨てていた体験も、実は妄想ではなくちゃんとした非物質界での体験であることがわかってきます。

逆に言えば、そのことに気づけるかどうかが、ヘミシンクでの体験を深めるうえで極めて重要になってきます。

毎回寝てしまうか、寝ないけれども何も見えないという方がもしおられましたら、是非上でご紹介したブルースモーエンさんの「知覚の連続性」について、参考にしていただければと思います。


© Rakuten Group, Inc.